不平・不満の愚痴を言わない人はストレスがたまるのか?愚痴をやめるメリット

不平・不満の愚痴を言わない人はストレスがたまるのか?愚痴をやめるメリット

不平・不満や愚痴をこぼす人が嫌われがちなのはわかります。

どんなときでも、不平・不満や愚痴を言わないで、前向きに頑張れる人って、すごく素敵です。

でも、不平・不満・愚痴を言わない人は、やっぱりストレスは溜るのないのでしょうか?

不平・不満・愚痴は言わない方が幸せは寄ってくると思っていても、実際は我慢だらけで苦しいのでしょうか?

今回は、「不平・不満・愚痴を言わない人の心理」に、焦点を当てます。

不平不満を言うことは悪いこと?

不平不満・愚痴を言わない人は素敵です。では不平不満や愚痴を言う人は、悪い人なのでしょうか?

不平不満や愚痴を言うことは、必ずしも悪いことかというと、もしかしたらそうではないのかも、と思うことがあります。

なぜかというと、それだけ「物事に意見を持っている人」ともとれるからです。

意見や理想があるのに、状況を考えてしまって解決の方向に進めない、となると「不平不満や愚痴を言う」という形になってしまうのではないかと思うのです。

不平不満があるのは、悪いことではなく、むしろその「出し方」が重要で、「愚痴」となって表れるのは、あまりよくないことなのです。

不平不満を愚痴にして言う原因は何?

愚痴にしては良くない、と個人的には思います。

なぜかというと、理由はいろいろあります。

①物事の悪い点は分かっているのに、解決する方へいけない
②悪い言葉は空気を濁す
③愚痴を聞く人のことは考えていない=人が離れていく

さっと思いつくことでも、これだけあります。

なによりも、「愚痴を言いたいだけの人」になるのが、一番よくないと、個人的には思います。

他人への文句は、なぜか話が盛り上がったりします。

飲み会で、その場にいない誰かの話で、異様に盛り上がったりしませんか?

そうして一種の団結を感じたりしませんか?

なぜそれは独特の愉しさを含むのでしょうか。

〇優越感
〇自分は“わかっている人間”だと思える
〇同調したりされたりすることで安心する
〇他人を批評できる
〇自分の身を切る行動はひとつもない

一言でまとめると、優越感が大きいのだろうかと思います。

また、愚痴を言うというのは、実際に物事を変えていくこととは違い、一時の労力や物理的なリスクはほとんど感じません。

“お手軽な優越感”とでも言うのか、実際には、今を変える行動には一切つながらなくても、関係のないことだから、不平不満が愚痴となって現れるのではないかと、と思うシーンにたくさん出会います。

「こんなこと言いたくないけどさ…」

なら言わなきゃいいのに、と思ってしまいます。

なのに言ってしまうのは、「私は物事をわかっている人」アピールをしたいだけなのではないか、と思えて仕方がないのです。

不平不満を愚痴にしないのはなかなか大変

実際、不平不満を愚痴にして言わないのは、すごく大変なことだと思います。

そういう考えをしてこなかった人には、修行に近いです。

常に自分を律している必要があります。

なぜかというと、「不平不満」というのは、「意見」「感想」でもあるからです。

「愚痴を言わない人」というのが、「何の意見も感想ももたない」がゆえの「愚痴を言わない人」なのか、「物事に対してはっきり意見をもち、解決する行動をする」けど「愚痴を言わない人」なのか、これは似て非なる、まったくの別物です。

「“意見も感想も持たない”から愚痴を言わない人」は、その物事について「興味がない」「どうでもいい」とも言えます。

「“意見や感想をしっかり持っている”から愚痴を言わない人」の場合は、しっかり意志エネルギーを持ちながら、それが「愚痴」という、ゆがんだ方向にいかないように、しっかりと意思を持って行動し続けなければなりません。

でもそれができたら、周囲の人間から見たら「すごく素敵な人間」「良い意味で頼れる人間」になっていくのではないかと思います。

「愚痴」は自分ベクトル

愚痴は、ベクトルが自分に向いているのではないかな、と考えることがあります。

他人について話すのが「愚痴」ですが、「愚痴を言う」という行動は、他人のことはあまり考えていませんよね。

「愚痴を言う」ことの最大の目的は、「自分が今抱えているストレスから逃れること」「同意を得て安心すること」などにあります。

愚痴を言う人に「こうしたらいいんじゃない?」というと、反発されることがある場合は、完全に自分ベクトルだな、と思います。

解決を求めてはいないことが多い、ということは、今の私の気持ちを、私の都合の良いように聞いてよ!というのが心理ではないでしょうか。

もちろん違う場合もあるかもしれませんが。

「愚痴」を言って、一時すっきりすることができても、原因は取り除かれないわけですし、ということは、また愚痴をいうことになります。

「“愚痴を言うこと”がしたい人」になっていませんか?

愚痴を言う時間を、解決のために使う

愚痴を言う人は、大体今のストレスの原因を把握している人だなと思います。

ということは、原因は自分で分かっているのだから、原因を取り除くこともできるはずだ、と思うのです。

もちろん、物事の大きさや重要さによって、解決までの道のりや時間は変わってきます。

それでも、現状を本気で変えたい、と思うなら、必ず変えようと思うし行動するはずです。

もし原因を取り除けたなら、自分も新しいステップに進めるし、原因が周りの迷惑になっていたとしたら、周りからも感謝されるはずです。

それが、もし物事の不平不満・愚痴を言っているばかりなら、自分が“他人の不満の原因”になってしまいます。

そうなると、あなたは他人にとっては“取り除かれるべきストレスの原因”として扱われます。

そうなると、自分はただの「不平不満を感じていた人」だったのに、ストレス源のせいで自分こそが「邪魔者」にされてしまうのです。

愚痴を言うのはほどほどにして、いかに解決するかを考えた方が、長い目で見ると本当に得なのです。

まとめ

不平不満、愚痴を言わない人が、ストレスが溜まらないかというと、人によっては「相当ストレスがかかる」と思います。

それは不平不満、愚痴を言わないように「我慢している」パターン。

「不平不満、愚痴を言わない」というのが、真に「言わずに行動する」のマインドになっていないと、かなりストレスがかかるのではないかな、と思います。

ストレスとは、結局、自分の思い通りにならないことから始まります。

「不平不満を言わない人」に無理なくなるには、どんな物事に直面した時にも、「プラスの気持ちで取り組む」のマインドを作らない限り、ストレスになるでしょう。

一見、愚痴を言わない人でも、別の場所で言う人、結構います。

それでは「本当の改善」ではなく、「よそへ逃がしているだけ」です。

本当に「愚痴を言わない人」「不平不満を持たない人」になるには、かなりの努力と、考え方の改革が必要なのではないか、と思うのです。

自分を律し、他人に遠慮しない、でも他人を気遣う。

そんな人になれたら、素敵ですね。

では今日も一日、快適を目指して過ごしましょう。