幸福度を高めるには―毎日楽しく過ごすためにできること―

幸福度を高めるには―毎日楽しく過ごすためにできること―

毎日、幸せな気持ちで過ごせたら・・・
そんな気分になってしまうときもありますよね。

今回は、気落ちしてしまったとき、どうしたら幸せな気持ちになれるのか考えてみました。

幸福度とは?

そもそも「幸福度」とは、なんでしょうか。

一人ひとりの幸福を所得などの経済的要素に限ることなく、家族や社会との関わり合いなどの要素も含めて評価する考え方のこと。幸せの度合いを「見える化」する指標を、幸福度指標という。国際的には1970年代からその重要性が指摘され、ブータンのように政策の中心に据えている国もある。日本でも幸福度とその指標づくりに関する研究が進められている。

緑のgoo「幸福度とは」より引用

かつてはGNP(国民総生産)、GDP(国内総生産)、GNI(国民総所得)など、所得に重きが置かれていました。
しかし、2005年のブータン王国の国勢調査が示すように、所得と幸福度は必ずしもイコールではないというのが、最近の考え方です。

ブータン王国の幸福度:ブータン王国は、国民1人あたりの所得は低いのですが、国民の約97%が「幸福である」と回答して話題になりました。

日本でも「幸福度」についてはいろいろ試行錯誤されていて、内閣府も調査研究を進めています。
・所得の上昇が必ず幸福につながるとはいえない
・所得の減少よりも、失業が個人に与える悪影響は大きい
・雇用主の経営を労働者が信頼できていると、生活全般の幸福度につながる
・加齢につれて幸福を感じる人が少なくなる傾向がある
など。

日本でも世界でも、幸福度は「収入だけじゃない」ということがわかってきて、研究も日々進んでいるようです。

結局のところ、その人が「幸せと感じている」かどうかですから、その指針を決めるのはタイヘンです。

どうしたら「幸せ」に過ごせる?

世界や国が「幸福度とは」という研究を進めていることはわかりました。
しかし結局、私たち個人ができることといえば、「幸せだ」と思って過ごすこと。

では、どうすれば「幸せだ」と思いながら過ごせるのか。

それは私たちそれぞれの中にしか、答えはありません。
私たちはそれぞれ、違う人間なのですから。

他人の中には答えはありません。
「今、私は最高に幸せだ!」という方は、おそらくこの記事にたどり着いていないと思いますので、一緒に幸せな気持ちへの第一歩を踏み出せたら、素敵だなと思います。

①趣味に打ち込んでみる。

趣味が多い人は楽しそう。
また、1つの趣味に没頭している人も、とても楽しそうに見えます。

実は、趣味が「人生の幸福度を上げる」のは、心理学で実験実証されています。

ハーバード大学のマット・キーリングワースさんは、総勢1万5千名の実験結果から、
「その場その場の経験に集中し、「没頭すること」こそが、本当の幸せを導く。」
としています。

そんなこと言われても、趣味なんてないよ・・・という方もいらっしゃると思います。
「じゃあ趣味を探さなきゃいけないのか・・・!」と気後れしてしまう方もいらっしゃるかもしれません。

そういう方は、ひとまず今一番楽しいと感じることや、落ち着くことをされてみてはいかがでしょうか。

余力のある方は、新しい趣味を探してみるのも良いかと思います。
形からでも構いません。
いくつか体験してみるのも良いと思います。

また「趣味探し診断」という、面白いサイトもありますから、活用してみるのもひとつの手です。

「これ、たのしいかも」
と思えることに出会えたら、とても素敵です。

②体を動かしてみる

運動が得意な人は、すぐに発想ができるかもしれませんが、運動が苦手な人にもオススメしたいのが「体を動かす」こと。

体を全く動かさないと、体の巡りが悪く、精神衛生的にも良くありません。

『自然療法』(東条百合子さん著)という本にも、「ヨガ」が進められています。

ストレッチやヨガ、ラジオ体操でも良いので、何かしら体を動かすと良いでしょう。

YouTubeで1つ動画を見つけて、必ずそれをやる、というのもおすすめです。

③体を動かすのが面倒くさい人は

よく言われるのですが「坐禅をしてみる」というのも一つの手です。

「坐禅をして幸福度が上がるの?」というのは、直接的ではないかもしれません。
ですが、坐禅をすることで、気持ちや思考が落ち着き、自分をリセットできると感じる人はとてもたくさんいます。

坐禅なら、家で自分一人でできます。

環境があれば、自然の空気やすがすがしい空気の吸えるところでやってみるのも良いかと思います。 

〈坐禅の組み方〉
座骨に敷く座布団があると快適です。
 ①胡坐になり(片足をもう片足の腿に乗せる)両膝の上に両手の甲を置く
 ②前後に上体を大きく揺らし、次第に揺れを小さくして体の中心を探す
 ③左右に上体を大きく揺らし、次第に揺れを小さくして体の中心を探す
 ④両手を体の中心で組む。右手の上に左手を重ね、親指同士を軽く付ける
 ⑤目線は斜め下にし、まぶたはやや閉じた状態にする

終わるときは②と③を、小さい揺れから大きい揺れにして、体を開放する。

この坐禅の組み方は、曹洞宗の「半跏趺坐(はんかふざ)」を参考にしています。

④感謝してみる

この項目は少し長いです。でも、誰でもいつでもどこでもできる、しかもとても重要なことなので、お時間があれば読んでみてください。

幸福度を上げるために、「色々なことに感謝してみる」というものがあります。
「感謝をする」というのは、成功者を目指すセミナーや本、お金持ちになるためには!のようなものには、必ず登場します。
スピリチュアルなどのセミナーでもよく登場します。

そうしたものから「感謝をしよう!」と聞くと、うさん臭く感じて、拒絶してしまう方もいらっしゃるかと思います。

しかし、幸福度とは、要するにマインドの問題です。
自分がマイナスな言葉を吐き続けると、自分自身がマイナスな感情になり、それが行動になります。

自分自身のマイナスな行動は、自分の態度・雰囲気となって、周りからもマイナスな行動をとられます。

マイナスな感情は、マイナスな現実を生み出してしまうのは事実です。

こんな経験はないでしょうか。

電車の中で、いい加減そうな若者がぶつかってきた。
反射的にイラっとした瞬間、その若者が「あっすみません」と謝ってきた。
負の感情が変わり「いえ、こちらこそ」とこちらも謝った。

これはたとえ話ですが、都会の日常では似たようなことはよくあります。

この話の序盤、「いい加減そうな若者」「ぶつかってきた」あたりは、自分の思い込みであり、妄想の部分です。

もしかしたら妄想ではなく、実際にそうかもしれません。
でも、そうじゃないかもしれません。

最初は体がぶつかったことかもしれませんが、”それ”をどうするかは、私たちの自由なのです。

文句を言うのか、ぶつかり返すのか。靴をわざと踏んで仕返しをしてくる方もいらっしゃいます。たとえぶつかったのが偶然で予期せぬことだったとしても。

でもこの場合は、相手が「すみません」と気持ちよく謝ったことで、そんなことはなくなりました。

相手がそういう風になるまで待たないと「良い気分になれない」のでは、いつまでたっても幸せな気持ちどころか、いつもイライラしていることになります。

話がそれてしまいましたが、自分が「どう思うか」次第で、自分の世界は変わるのです。

この若者は、きっと周りのイライラを自分でキレイにしながら生きているのでしょう。

まず自分が「良い言葉」を吐く。
これだけで、”今”を変えることができます。

でも、人間は意外と、すぐに「良い言葉」を吐くことができません。
「人とぶつかる→ぶつかり返す」ということが日常の人間に、「謝る」ということはなかなかできません。

だって悔しいじゃないですか(笑)

悲しいことに、私にもその気持ち、わかります。
でも、それを繰り返しては、自分はいつまでたっても、イライラして悲しくて暗い気持ちの中にいるばかりです。

ですから、毎日なんでもないときに、練習をしておくのです。
それが「常に色々なことに感謝をしなさい」というマインドセットが勧められるカラクリだと、私は思います。

朝起きて、なんでもいいから「ありがとう」と言ってみてください。
お読みになっているのが朝でなければ、今目の前で起こることに「ありがとう」と言ってみてください。
人でも人じゃなくても結構です。
言わなくても結構です。

「ああ、ありがたいな」

これを想ってみてください。

喫茶店のコーヒーがおいしい。ああ、ありがたいな。

その先にはそれぞれの理由があります。
・店員さんが入れてくれたからだな
・先輩がごちそうしてくれたからだな
・友達と一緒だからだな
・お店で流れている曲が素敵だからだな
・隣のお客さんがたのしそうだからだな

色々、ありがたいと思うことを、見つけてみてください。
いつでもどこでもできることなので、いつでもどこでも、幸福度を上げるチャンスをつかむことができます。

おわりに

いかがでしたか。

私は専門家ではないですが、自分のメンタルを見つめたり、友人から相談されたりすることがとても多いので、何かヒントになればと思いながらこの記事を書いてみました。

暗い気持ちになってしまうのは、悪いことではありません。
また、それで自分を責めてしまう人には、決してあなたは悪くないとお伝えしたいです。

でも、いつまでも暗い気持ちでいたくはないはずです。

毎日明るい気持ちで過ごすには、まずは楽しい瞬間を1つずつ増やすことからはじまるのかなと思います。

毎日楽しい!という人を見てへこむ必要は全くないと思います。
「楽しく生きていないといけない」という必要もないです。

「楽しくない」という自分も肯定できてこそ、「楽しい」を全力で楽しめるのではないでしょうか。